今回は,学校の授業をちゃんと受けることの意味について,自分の考えるところを述べたいと思います。
大学受験に向けた勉強
大学入試というのはかなり難しいです。
東大などの難関大学であれば尚更ですね。
それを突破するには結構な量の勉強が必要なのは言うまでもありません。
受験生たちも必死です。
私だってたくさん勉強しました。
授業進度の差
高一あたりのころに,東大の入試問題を初めて眺めて,「こんなのどうやって解くんだよ…」と呆然としたのを覚えています。
それが,何か月,何年も勉強するにつれ次第に解けるようになってくるのです。
受験勉強は時間がかかるし大変です。
こと東大になると,時間がかかるのみならず内容も難しくなります。
東大入試の勉強をしていると,学校の授業よりも先に進んだことを勉強することになるので,次第に学校の授業の進度が遅く感じられるようになります。
もうそんなところ勉強したよ,早く先に行ってくれ,と思うわけです。
しかし,そうはいっても授業の進みの速さは,できる人よりかはできない人に合わせるのが普通ですよね。
個人指導ではなく学校の授業ですから。
すると,よほどの進学校でない限り,学校の授業の内容はみなさんにとって物足りなく感じられることでしょう。
私自身もそのように感じたことがあります。
特に,私は数学や物理が得意という典型的な理系人間でしたから,そういった科目の授業の進度を不満に思ったことが何度かありました。
内職
私の高校(筑駒)三年生の時のクラスでは,塾に通っていないのは私含め二,三人程度でした。
塾に通っていた人たちの半分くらいは,前にも出てきた進学校御用達の鉄緑会に通っていました(私が通っていた高校は,東大受験生が非常に多かったんです)。
鉄緑会は本当に東大受験指導に熱心で,鉄緑生が分厚いテキストを何冊もバッグに忍ばせているのを見ると「大変そうだなあ」と思います。
どの塾でも同じですが,鉄緑会では頻繁にテストがあって,常に授業の予習・復習をしないと痛い目にあってしまうんですね。
ですから皆さん必死です。
そうした塾の勉強が大変なのでしょう。
特に高三のときは,学校の授業中に塾の宿題をやっている人のまあ多いこと。
なんか熱心に字を書いてるなあ,と思ったら宿題をやっているのです。
びっくりしました。先生にバレないようにこっそりやっているのです。
まあ隠そうという気のない人も居ましたが。
先生の話なんてそっちのけです。
受験期が近づくほどこの傾向は強まりました。
学校の勉強より受験勉強のほうが大事。
だって私は東大受験生だから。彼らはそう思っているのです。
学校の授業の必要性
これは,塾に通っている人たちだけの問題ではありません。
独学であっても,東大受験となると皆さんもそれなりに進んだ内容を勉強するわけですから,授業が退屈に思われる瞬間はあることでしょう。
皆さんはどう思いますか?
受験勉強のほうが大事だと思いますか?
これは非常に難しい問題です。
受験勉強ですでに学んだ内容の授業をちゃんと聞く必要は無い,という彼らの理屈は,たしかに一理あるようにも見えます。
彼らは,既知の内容の授業を聞いている暇があったら,その時間で受験勉強をしたほうがいい,という理屈のもと行動しています。
議論の焦点は,すでに知っている内容に関する学校の授業は聞く意味があるかどうか,に絞ることができます。
これについて,ちょっと考えてみましょう。
「学んだものの量」の評価方法とは?
学校でも塾でも,授業が自分にとってどれくらい有益なのか判断するのは非常に難しいです。
授業で学んだものの量や質というのは,具体的に数値化できるものではありませんからね。
したがって,学校の授業を聞く意味がどれほどあるのかというのを,量的に説明するのはかなり難しくなってしまいます。
そうすると,一番分かりやすいものさしは「新しいことをどれ程学んだか」ということになってしまいます。
新しいことを学ぶというのは,その分自分が理解している領域が広がるということですから,学習成果の測り方として明快です。
実際,一度学んだことの復習よりも,新しいことを勉強したほうがなんとなく実りある時間を過ごした気になりますよね。
裏を返せば,復習というのは一度学んだ領域を再び学習するということです。
既に理解している領域を点検して,穴を塞いでいく作業と考えるとわかり易いのではないでしょうか。
一度理解したことでも,時間が経てば忘れてしまうものですから,定期的に復習をするのはものすごく重要なことです。
しかしながら,復習は理解の領域を拡張していくものではないため,今までよりも賢くなった気がしないというか,達成感がないというか,微妙な気持ちになるものです。
先ほど述べたような「新しいことをどれ程学んだか」というものさしで考えると,復習よりも新しことの勉強が優先されることになりますね。
学校の授業中に塾の勉強をしている人たちは,このような理屈に支配されている部分があると思います。
無意味に思えるかもしれないが……
すでに学んだ内容を学校の授業で再び勉強するというのは,一見無意味に映ります。
しかし,たとえ一度学んだことでも,学校で再び勉強するのは復習として非常に大きな意味を持ちます。
受験勉強として,基本はさっさと勉強して難しい問題ばかり解いていると,頭でっかちになってしまって,逆に基本的なことを忘れてしまう,なんてことはよくあります。
入試問題は解けるのに基礎はわかっていないという妙な状態になってしまうのです。
しかし,そういう人は大学に入っていこう必ず痛い目に遭います。
私は,皆さんにそうなってほしくはない。
ちゃんと基礎を理解している,地盤のしっかりした学力を備えてほしいと願っているので,新しいことや難しいことの学習ばかりに集中せず,復習というのを本当に大事にしてほしいと思います。
学校の授業は,一度学んだことの復習になるという点だけをとっても決して無意味ではありません。
復習の重要性
参考までに,記憶の話を少しだけ。
Ebbinghaus の忘却曲線というものがあります。(昨日もちょっと言及しました。)
これは,簡単にいうと「人間の記憶練習の効果は時間の経過とともにかなりの速さで失われる」というものです。
より具体的には,ある時点で記憶していたことは,二十四時間経過するとそのおよそ七十パーセントが忘却される,というものです。
これは Ebbinghaus によって 1885 年に発表された論文で示されたものでした。
細かい内容はともかく,忘却曲線という単語自体は,聞いたことのある人が多いのではないでしょうか。
それなりに有名な忘却曲線ですが,論文自体は専門家たちに受け入れられているわけではないようです。
彼より後に発表された記憶に関する論文の多くが,彼の忘却曲線の理論を否定するものだということです。
たとえば,みなさんはかなり昔の,自分が幼稚園生や小学生だったころのことも結構記憶しているのではないでしょうか。
かなり時間が経過した出来事でも,自分にとって衝撃的だったものは,長期にわたって記憶が継続されます。
こういう記憶は現在では「エピソード記憶」という風に呼ばれていますが,これは忘却曲線では説明できません。
このほか,現在有力と思われている記憶のメカニズムにまつわる学説のほとんどが,忘却曲線に反するのだそうです。
そうはいっても,受験勉強の内容(英単語など)は,エピソード記憶などが絡みにくいので,わりと忘却曲線に沿った変動をするのではないでしょうか。
具体的に一日で何パーセント忘却するかという細かい数値はさておき,受験勉強の内容っていうのは忘却しやすいものだと思います。
忘却を防ぐためには,やはり復習が超重要です。
先へ進みたい気持ちはよくわかるのですが,その欲求にしたがってドンドン内容を進めて復習をおろそかにすると,気づかぬうちに基礎が抜け落ちて,結果として先の内容も理解できなくなってしまいます。
そのような事態を防ぐためにも復習というのはやはり必要で,そういう意味で学校の授業というのは大事なものなのです。
