僕自身の,これまでの勉強や受験のことについて,可能な限り詳しく振り返ります。
とても長い記事ですので,お時間のあるときに少しずつ読んでみてください。
小学生時代
小学校時代から振り返っていきます。
両親のすすめで,大手塾に通うことに
私が通っていたのは中学受験の大手塾で,小学四年生のころからです。
小学四年生ですからさすがに自分から言い出したわけではなく,両親に(強く)勧められ,半ばイヤイヤ通っていたという感じです。
まあ,小四で自ら「塾に通いたい」なんていう子どもがいたら怖いですよね笑
当時は友達の家に遊びに行くのが好きだったので,塾に通い始めたときはそれなりに落ち込んだものです。
塾があったのは平日でした。
学校の授業が終わって家に帰って,軽食を食べたり支度をしたりしたのち塾に行きました。
塾まで行くには電車にのる必要があり,最初は母に塾まで同伴して貰ったのですが,初めて塾に一人で行ったときは緊張したものです。
どの電車に乗ればいいのかわからなかったので,駅員さんに聞いたのもよく覚えています。
当時は人見知りなきらいがあったので,知らない人に声をかけるのは大変な抵抗がありました。
家からたった三,四十分の道のりが,私にとっては大冒険に思えたものです。
今思えば我ながら微笑ましいものです。
週二日から始まった塾
小四のときは週二日あたりから始めたと記憶しています。
始めたときは国語と算数の二科目でした。
国語の授業では文章読解や漢字の練習をしました。
小さな物語文や説明文(=論説文のこと)を読んで,問題に答えていくという形式。
いまでもそうなんですが,私は国語が大の苦手で,このころから国語の授業は「あまり楽しくないなぁ」という感じでした。
算数のほうは,まず先生が例題を解説して,その次に演習問題をやるというごく一般的な形式でした。
もともと算数は(国語とは異なり)得意な方だったのですが,算数は塾に通い始めてから急に好きになって,自分からどんどん勉強していた記憶があります。
算数そのものが好きだったのか,それとも算数でいい成績をとって親や先生に褒められるのが好きだったのか。
どちらが本心だったかはよく覚えていません。
小学生ですから,たぶん後者のほうが強かったのでしょうね。
次第に過密になるスケジュール(小五・小六)
小五以降も同じ塾に通い続けました。
ただ,当然ながら学年が上がるにつれて授業のコマ数も増えましたし,理科と社会が加わって内容も多彩になりました。
小五のころは塾は週三日,小六では週五日でした。
かたや小学校の同級生は放課後遊んでばかりいるのに,なんで自分はこんなことしなきゃいけないのか,と考えると精神的にきつかったです。
成績自体は着実に伸びてそれが励みになりました。やっぱり具体的な数字として成長が現れると安心するものです。
小五,小六の理科の先生がすごく厳しい先生で,その塾でのいわば名物講師でした。
宿題をやらなかったり,甘ったれた態度を取ったりするとものすごく怒る先生で,私のクラスの友達もみんな非常に怖がっていました。
私はたまたま理科が得意だったので怒られることはあまりなかったのですが,それでも勉強のことや日常のことについてたくさん注意されました。
今思うと,あの先生の一言一言は大変価値あるもので,その先生のおかげで今の自分があると思うのですが,当時は理科の授業がそれはそれは憂鬱でした。
小学生にとっては,先生に怒られないようにするのが至上命題でしたからね。
小六になると,日曜日の特別授業が始まりました。
簡単に言うと志望校別の授業で,過去問演習がメインでしたね。
私は当時開成中学校を志望していたので,開成中学校向けの授業に参加していました。
成績順のクラス編成で,時々行われる模試でクラス替えがあるという感じです。
私はわりと上のほうのクラスに入ることができました。
週五日も塾に通っていたのは,いま考えてみると本当に驚きです。
我ながらよくあんなに頑張っていたなー,なんて思います。
日によっては夜十時過ぎに帰宅して,宿題をやっているうちに日付が変わっていた,なんてこともしばしば。小学校の頃が一番必死に勉強していましたね。
偏差値の話
あまり気は進まないのですが偏差値の話をすると,中学受験の塾には「R4偏差値」というものがあります。
R4偏差値というのは,その値以上の偏差値を取っている受験生の八割はその学校に合格できる,という統計上の値です。
当然いわゆる難関校では大きな値となります。
私が志望していた開成中学校も例外ではなく,かなりの値だったわけです。
小六の初めのころまでは正直その偏差値に届かなかったのですが,小六の夏休みくらいにはようやく上回るようになりました。
そこまではよかったのですが,どういうわけか受験が近づくにつれ,成績が伸びなくなってしまったのです。
大きく下落したわけではないのですが,微妙な成績ばかり。
少なくとも塾通いを始めたころと比べると流れが悪かったように感じます。
転落
結局,それが原因で縮こまってしまったのでしょう。
入試本番でもどういうわけか自分の実力を存分に発揮できず,開成中学校・筑波大学附属駒場中学校(筑駒,つくこま)のいずれも不合格でした。
偏差値的には足りていたはずで,塾の先生からも「大丈夫だろう」と言われていたのに,です。
結果報告のために塾に戻った後,大泣きしたのを覚えています。
あれだけ頑張ったのに,なんで合格できなかったのだろう。なんで成績が伸びなくなったんだろう。
いろいろなネガティブな感情が私を襲いました。
塾長の先生が,ひたすら「申し訳ありません」と私と母親に謝っていたのが余計精神的にツラかったです。
結局私は,いわゆるすべり止めとして受験し,合格した中学校(栄東中学校)に通うことになりました。
もっとも,すべり止めとはいえ私はこの中学校に大きく感謝しています。
というのも,栄東の先生方が私の学習スタイルに変革をもたらしたからです。
中学校以降,私は塾に通っていません。ですから私の「塾の歴史」はここまでということになります。
これまでのまとめ
小四から塾に通っていた私の小学校時代をまとめると,次のような感じです。
小四から塾に通っていた
小四では国語と算数,小五以降は理科と社会が加わって四科目
小六のはじめまでは成績が伸び続けたが,それ以降は伸び悩んでしまった
それによる焦りや萎縮が原因で,本番では力を発揮できず不合格
中学受験で失敗して数日間,母は毎日私の見えないところで泣いていたと聞きます。
とうの私も,大変落ち込んだものです。
中学生時代
次は,私の中学校時代についてです。
中学受験の失敗
たったいま述べたとおり,私は中学受験で失敗しました。
開成中学校・筑波大学附属駒場中学校を受験したものの,いずれも不合格。
結局,1月に受験した埼玉県の栄東中学校に進学しました。
当時は相当落胆したものです。
相当多くの時間を受験勉強に捧げてきたわけですから。
友達の家に遊びに行きたい気持ちをグッとこらえて,塾へ通っていました。
しかし,3年間の塾通いは結局実らなかったのです。
無論,落ち込んだのは私だけではありません。
両親も相当悲しんでいたようです。
塾に3年間通わせるというのは,並みの覚悟ではできないことです。
お金も時間も相当かかるのは,言うまでもありません。
中学受験直後,両親は悲しみを隠して僕に優しく接してくれました。
それは,落胆する僕を思いやってのことなのでしょう。
私の通っていた小学校は,公立にも関わらず開成や筑駒などに複数名の合格者を出す非常に優秀なところでした。
私が受験で失敗した傍ら,当時近所に住んでいた中の良い友達は筑駒に合格し,同級生は開成に合格していました。
何がいけなかったんだろう。そんなことをずっと考えながら,卒業式を終えました。
栄東中学校へ
失意の中,栄東中学校へ進学。いわゆる「滑り止め校」です。
受験に失敗したとはいえ,栄東には特待生として合格でした。
また,入学者の中では成績がトップだったようで,入学式で代表挨拶をしたことも覚えています。
その後,特待生(僕のクラスでは6名が特待生でした)だけ別室で特待生資格の授与式を行いました。
両親をはじめ家族のみんなは,そのことを喜んでくれました。
とうの私も,こうしてイイ感じに迎え入れてくれたことは嬉しかったです。
中学の先生も,私は(そのクラスの中では)優等生でしたので,優しく接してくださいました。
受験失敗の苦味を残しつつも,校内トップの生徒として,私の中学校生活は幕を開けたのです。
大学受験のために
私は,栄東の中でも「東大クラス」というものに所属していました。
東大受験に向けて,他のクラスよりもハイレベルな授業が展開されます。
中学一年生からその傾向は見られました。
具体的には,英語と数学の授業が多かったです。
いずれも毎週5コマくらいあったと記憶しています。
通常の中学校での授業数よりもやや多いのではないでしょうか。
英語・数学共に,学校教科書ではない教材を使用し,ハイスピードで学習を進めていきます。
英語では「TREASURE」,数学では「体系数学」というものでした。
特に体系数学は,ご存知の方が多いのではないでしょうか。
英語・数学については授業のコマ数・宿題の量とも多く,ガリガリ勉強しました。
他の教科については,正直世間一般の学校と同じくらいか,若干緩め。
あくまで大学受験を意識して,日々学習していくものでした。
中学二年生になると,英語や数学の演習をする「0時間目」とか「7時間目」というものが生まれ,いよいよ勉強が本格化。
0時間目なんかは,朝8:00くらいからひたすら英語をやっていました。
校長先生(執筆時点で今も校長先生をされています)が英語の先生で,直々に我らがクラスに赴いて,授業をしてくださいました。
ただ,結構体育会系といいますか,端的にいってキツい授業でしたね。
とにかくわら半紙に英文や英単語を書きまくったり,音読しまくったり。
体を使いまくる授業で,朝イチからひどくしごかれました。
このご時世ですと,様々な方面で文句が出かねない授業でした。
中学三年生も,今まで同様英語・数学に重点をおき,ハイスピードな授業や多くの宿題と格闘する毎日でした。
三年生になると,学力を考慮して「東大クラス」のメンバーが一部入れ替わりました。
また内部進学(中高一貫校だった)の為の試験が秋に控えていた為,生徒たちも今まで以上の意識で勉強するようになりました。
勉強以外はそんなにちゃんとやらない
勉強以外のことはそんなに熱が入っていなかった印象です。
例えば文化祭。
文化祭というと,クラスで出し物をしたり,出店を出したりという楽しみがあります。
しかし私の中学校では,中学生は展示作品のみでした。
展示といっても凝ったものではなく,学校新聞などの1日で準備できてしまうもの。
文化祭当日も,展示物の管理や受付などをする見張りの生徒を除き,教室に顔を出す必要はありませんでした。
高校生になると屋台を出店することができ,お好み焼きや焼きそばなど,定番の屋台が軒を連ねます。
一方,中学生は基本的にやることがないので,文化祭はちょっと散歩して屋台のご飯を食べる程度。
地方の私立進学校にありがちな,勉強に精を出すタイプでした。
以上の内容を見ると,典型的なつまらない進学校という印象を抱くかもしれません。
そういう言い方もできるとは思いますが,私の学力がもっとも大きく変化したのは,まさに中学校時代だったのです。
最たる理由は,大量の問題演習をしたことでしょう。
先述の通り,私の中学校ではたくさんの宿題が出されました。
ある程度勉強ができた僕にとって,そうした宿題は足枷のように(当時は)思えたのですが,今思うとこの宿題が私の学力の基礎を形成しています。
例えば数学の場合,基礎レベルの問題をひたすら演習することで,問題を解くスピードが上がり,計算ミスの頻度も激減しました。
この力は,今後の僕の人生に大きな影響を与えます。
英語であれば,基礎的な単語や文法の理解が深まり,のちの学習が大変スムーズになりました。
他の科目も同様です。
やはり,基礎のトレーニングというのはどの科目でも重要なんだ,と今は思います。
数学であれば計算。英語なら単語や発音。国語なら,漢字や語彙など。
多少勉強が遅れているように感じても,こうした内容をひたすら演習することで,のちの勉強が大きく加速します。
中学校のこうした勉強のおかげで,小学校の頃よりも学力が上がり,勉強も楽しくなりました。
当時学校では駿台全国模試を受験していたのですが,それで全国一位(英数国三科目総合)を取れたほどです。
定期試験でも,ほとんど全ての回で学年トップの成績。
このような展開は,中学受験に失敗したときは全く想像できませんでした。
中学三年生の頃は,中学受験で失敗した悲しみはほとんど消え去っていたのです。
私の通っていた中学校は,礼儀やマナーについての指導も厳しく,校則違反の生徒は厳しく叱責されていました。
学力のみならず,この面でも中学校には大変感謝しています。
この中学校なしに,今の私はないと断言できるほどです。
中学時代のまとめ
中学受験に失敗し,埼玉県の私立中学校へ。
英語・数学に重点を置いた授業で,ひたすら勉強。
勉強に偏ってはいたが,今の学力は主にこの時期に形成された。
受験に的を絞ってガリガリ勉強させるスタイルの中学校でしたが,私はそのおかげで大きく成長できました。
今でも,中学校の同期とは時折会います。
この前は,中学時代の担任の先生とも会いましたね。
学力が開花したという意味で,転機といえる中学校時代でした。
高校受験について
次は,高校受験あたりの話です。
まずは,中学三年の頃から。
順調に勉強が進んだ中学校時代。高校受験を意識し始める。
中学時代の勉強は大変順調でした。
私立の進学校だったということもあり,勉強量が多かったのが幸いした感じです。
英語もさることながら,特に数学については小学生の頃と比べ物にならないほど大きく成長し,私自身もその変化に驚いたものです。
定期試験でも全国模試でも好成績を収め,絶好調という感じでした。
成績が伸びると同時に,新しい意識が芽生え始めます。
「高校受験をしよう。」
高校受験を志した理由
なぜ高校受験をしようと思ったのか。理由はいくつかあります。
第一に,中学受験での失敗をリベンジしたいという思いがあったためです。
小学四年生から塾に通い,その上での中学受験不合格。
それは私にとって非常に辛い出来事でした。
中学に入ってから成績も伸びたので,中学受験で不合格だった高校(開成,筑駒)に再度チャレンジしようと思ったのです
第二に,自分の趣味であった将棋を高校では部活としてやりたかったためです。
私は,家族の影響で小学生の頃から将棋が好きでした。
私の中学校にも将棋部はあったのですが,規模が非常に小さく,実力もあるとは言えませんでした。
実際,文化祭で自校の高校将棋部にお邪魔して数局指したところ,余裕で勝ってしまいました笑
一方,開成や筑駒には将棋部があります。(そして,結構強い。)
何事も,強い人たちに囲まれた方が実力は伸びやすくなります。
強い将棋部に入りたいという思いが,高校受験を後押ししたのでしょう。
第三に,すぐに学年一位になってしまう環境を退屈に思っていたためです。
滑り止めという位置付けだったこともあり,試験での成績はほぼずっと私が学年一位でした。
ゲームをした理,将棋を楽しんだりと結構雑な生活をしていたにも関わらず。
中学一年の頃までは,英単語コンテストや計算コンテスト,漢字コンテストというものが各学年で毎年行われていたのですが,それもなくなりました。
担任の先生に理由をお伺いしたら,「どうせ林が一位になっちゃうから」とのこと。
でも,すぐにトップになっちゃうことについて,私は快く思っていませんでした。
妙に尊敬され,勉強ができる「キャラ」のようなものが形成されていくことがむしろ不快に感じられたほどです。
「優等生キャラ」はもういやだ。きっとどこかで,僕でも「普通」になれる。
これが,私が高校受験をした最大の理由です。
受験では,一切苦労をしなかった。
そんな訳で,私は高校受験をすることに決めました。
また,志望校は筑駒にしました。
小学生の頃,開成と筑駒双方の文化祭に行ったのですが,自分と雰囲気がマッチしそうなのは筑駒であったからです。
受験をするにあたり,学校の勉強とは別に受験勉強が必要でしたが,そこでは全く困りませんでした。
一応,自分の実力を知りたかったので,早稲田アカデミーに籍だけ置き,定期的な模試だけ数回受験することに。
ただその模試でも,中学よりは生徒のレベルは高いものの,いつも一位〜三位で,不合格の心配は皆無だったといえるでしょう。
実際,最初の数回模試を受験してからは,地歴公民の一部(暗記が苦手だったので)を除いて受験勉強の一切はやめにしました。
正直,受験勉強なんかをしているよりは,将棋をしたりジュニア数学オリンピックの問題を解いたりしている方がよほど楽しかったためです。
時折模試を受けつつ,あとは中学校生活を満喫していました。
勉強ばかりとはいえ,中三では修学旅行があり,文化祭でいろんなことをしたので結構楽しかったものです。
※中高一貫校だったこともあり,高校受験をして外部に進学することについては学校から強く反発されました。
三年越しのリベンジマッチ
筑駒一本でも合格すると思っていたのですが,なんとなくリベンジをしたくて開成も受験することにしました。
また,それでも家族は心配していたようで,都立日比谷高も受験することに。
開成は2月11日,筑駒は13日,日比谷高は後述の通り受験していませんが2月下旬に入試が行われました。
開成入試当日。
いくら中学の勉強が余裕であったとはいえ,中学受験で失敗した学校を受ける訳ですから,やはり結構な緊張が私を襲いました。
歴史ある古ぼけた校舎。お世辞にも綺麗とはいえませんでしたが,入試当日に限ってはそれが大変威厳のあるように映ったものです。
ただ,こうした重い気持ちも,入試が始まればすっかり消え去ってしまいました。
特に数学の試験が終了したあとは,「あ,これは余裕で合格だな」と。
幸い,全問解けたんです。
他の科目も,大崩れすることなく,無事試験は終了。
家族は(やはり私が中学受験に失敗したので)大変落ち着かない様子でしたが,私はもう合格を確信していました。
二日後,筑駒入試当日。
校舎の二階にある大部屋で試験でした。140人ほど受験生がいた気がします。
筑駒の高校入試は定員40名と結構少なめです。
でも,こちらも正直余裕でした。
開成の入試で成功していたので,一切不安なく入試を終えられました。
総じて,多少の不安はあったものの学力でなぎ倒すことに成功したという感じです笑
合格発表
名前を書き忘れるとか,そういうミスさえなければ合格は確実。
そう思ってはいたものの,やはり合格発表は緊張しますね笑
開成の合格発表は,中学同様に白いプレートに合格者の受験番号が掲示される仕組み。
時間ぴったりに,番号が張り出されました。
改めて自身の番号を確認し,一安心。
三年越しのリベンジマッチ,初戦は勝利!
嬉しさよりも,安心感が勝りました。
その数日後,筑駒の合格発表。
ピロティに番号が掲示されます。
正直こちらも合格すると思ってはいたのですが,本命だっただけにより緊張しました。
でも,合格だったようで一安心。二回戦も勝利です。
合格証書を受け取り,ようやく「受かったんだな」と実感。
中学受験で失敗した時に抱えた巨大なコンプレックスが,ようやく解消したのです。
家族や中学などにも結果を報告。
家族は当然のこと,中学の先生方も喜んでくださり,とてもありがたかったです。
まとめ:「優等生」をやめるために,筑駒へ。
筑駒に合格した時点で,そこに行くことに決定したので,都立高入試は受験しませんでした。
高校受験の終わり。
難なく終えることができよかったです。
しかし本来の目的は「レベルの高い人たちに囲まれて成長する」ということでしたので,それを思うと油断はできません。
今までは,たまたま周囲より勉強ができたから色々うまくいきました。
でも,筑駒での生活が始まれば,そんな余裕はなくなるでしょう。
期待もあり,不安もあり。
「優等生でない自分」を探して,私は筑駒へ進学するのでした。
高校時代:筑駒が僕にもたらしたもの
高校入試を終え,2012年に筑駒高に入学。
今回は,高校時代のことについて述べます。
肩身の狭い高入生
筑駒は,中学校が各学年120名,高校が各学年160名。
つまり,高校入試を経て入る生徒はたったの40名なのです。
一貫生(筑駒では連絡生と呼ばれていた)と高入生の比率は3:1。
高入生の比率がとても低くなっています。
しかも,開成高などとは異なり高入生だけのクラスが設けられる訳ではなく,いきなり連絡生と同じクラスに入ります。
40人クラスなので,30人が連絡生,10人が一貫生ということです。
入学したての高入生は,非常に肩身の狭い思いをすることになるのです。
特に筑駒生は内輪ネタ(○○先生が面白い,○○はこういうキャラだ,など)で盛り上がるのを好むため,それが高入生にとっては大変排他的に感じられます。
実際,一年生のときの授業で,連絡生と先生が以前筑駒にいた先生の話題で盛り上がっており,私は全然何のことかわからず困惑したことがあります。
一年生の最初期は,結構居心地の悪い時間が長かったです。
そうはいっても,誰かを無理やり排除したりいじめをしたりするような人間はいないので,向こうの方からコミュニケーションをとってくれることも多く,とても助かりました。
担任の先生陣も素敵な方ばかりで,筑駒の空気に溶け込むまでにそこまで長い時間は要しませんでした。
入学して気づいたこと
筑駒に入学してから気づいたこと。
第一に,やはりみな「賢い」と思いました。
もちろん,人によって普段の勉強時間は異なりますし,ペーパーテスト的な意味での学力にもばらつきがあります。
しかし,地頭が良いという点は共通しているようでした。
勉強のことにしろそれ以外のことにしろ,複雑な話をしていて通じないということはあまりありません。
理解力の差があって会話が成立しない,という不快感を抱かずにすみます。
また,いろんな議論がスムーズに進んだり,授業のレベルも必然的に高いものになったりというメリットがあります。
議論にしろ授業にしろ,レベルの低い人に合わせなければいけない面がありますから,みな一様に地頭が良いというのは学校という共同体において大変大きな強みなんです。
第二に,ほとんどの人が何かしら「強み」を持っていると感じました。
勉強ができる人もいれば,部活を頑張っている人もおり,ゲームが得意な人もいます。
人によって異なるものの,何かしら強み・特徴がある。
これは,学年全体の活力と密接に関わっています。
「試験の成績」のような単一の物差ししか学年に存在しないと,勉強ができない人は学校生活のモチベーションが低下しますしトップ層も目指す対象が他にいないのでだらけてしまいます。
筑駒のように多種多様な強さを持つ人が集合していると,互いに良い刺激が生じ,全体の生産性も高まるのです。
例えば私は,高校で将棋部に所属していました。
筑駒の囲碁部(駒場棋院という名称です)は将棋部よりも輝かしい成績を収めていたので,それに刺激されて「自分たちも頑張ろう!」という意識が生じました。
また,筑駒は数学オリンピックの受賞者がよく出ます。
僕は物理が得意だったので,日本物理オリンピック(JPhO,正式には物理チャレンジという名称です)を受験することにしました。
当時筑駒では JPhO を受験する生徒はあまりいなかったのですが,数学勢や化学勢などに負けないように頑張って勉強し,2014年夏の日本物理オリンピックでは金賞を獲得できました。
物理の先生も,結構喜んでくださいましたね。
もし他に,各種オリンピックに出場している友人がいなかったら,今の僕は存在しないといえます。
そんな訳で,単に勉強ができるだけでは浮いた存在になりません。
当初の目的は達成されました。
余計なことを気にせず,どんなことにも打ち込める。
これが,筑駒の最大の強みと私は思います。
だからこそ,優秀な人材を輩出し続けるのでしょう。
普段の学校生活
時間割など
筑駒の学校生活はいたってシンプルです。
1時間目〜6時間目までの授業の他に,束縛時間はゼロ。
朝や帰りのホームルームがないのが,当時の私にとって新鮮でした。
ふつう,学校では朝と帰りにホームルームがありますよね。
担任の先生から連絡連絡があったり,学校の理念をみんなで読み上げたりします。
(中学校時代は,毎朝学校の訓示を読み上げていました。)
ホームルームがないと,どうやって諸々の連絡するんだろう…と思っていましたが,廊下の黒板を利用したり,授業担当の先生経由で連絡したり,うまいことやりくりする訳ですね。
授業以外に束縛時間がないので,とにかく毎日ラクに過ごせました。
制服はない
高校にしては珍しく,制服がありません。
制服がないことの是非については色々な意見があると思いますが,僕は小学校のときみたいな感じでなんか楽しかったです。
(おしゃれは苦手な方で,たくさん着こなすことはできませんでしたが…)
先取りはしないが,楽しい授業
筑駒は名前の通り筑波大学に附属している国立高校ということもあり,授業の進行は指導要領と概ね同じペースでした。
主に筑波大学から教育実習の先生がいらっしゃることもあり,あまり勝手なスピードで授業を進めてはいけないのでしょうね。
しかし,そうした制約の中で,先生方は様々な工夫をこらし授業をします。
教科書を使わずに,独自のプリントで授業をするというのが代表的でしたね。
実験が多い
物理や化学であれば,実験の時間が多く,これが個人的には嬉しかったです。
例えば物理では,以下のような様々な実験を行いました:
重力加速度の測定(テープを使うやつ)
ボールの反発係数を求める
ブロックの摩擦係数を求める
共振回路の周波数特性をグラフにする
頑張ってプランク定数を求める
…
どうやら,ほとんど実験を行わない学校もあるようで。
実験自体が楽しいだけでなく,学習した内容が定着するというメリットもあります。
国語や地歴なども,(本来あまり好きな科目ではないのですが)楽しい時間が多かった印象です。
先取り学習以外にも,授業を楽しくする方法はあるのですね。
他にも,学校行事をガチるという特徴があるのですが,これは結構長くなってしまうのでここでは省略します。
ご興味のある方は,「筑駒 文化祭」とか「ミス筑駒」とかで検索してみてください。
高校時代は,物理に打ち込んだ。
東大で物理学科に入ったきっかけは,高校時代にあります。
物理学習の面白さに気づき,それに打ち込んだためです。
高校に入った時点では,物理に特別強い関心があった訳ではなく,むしろちょっと苦手意識を抱いておりました。
中学時代に,運動エネルギーや位置エネルギーの基礎について勉強したのですが,そのときの期末試験の成績がかなり悪かったので…
高校二年生のときに,物理基礎の授業がスタート。(一年生では生物基礎と化学基礎でした。)
そこで,物理の楽しさに気づいたのでしょう。
当時の期末試験の成績も結構よかったので,「もしかしたら向いているかもしれない」と考えました。
学校の勉強を超えて,自ら先取り学習をするようになりました。
高校二年生の初夏に,「物理オリンピック」というものの存在を知りました。
数学については知っていたのですが,物理でも同じものがある,と。
その年の日本物理オリンピック(JPhO)は申し込み期限が過ぎており参加できなかったのですが,翌年のものには高三で参加することにしました。
JPhO は,一次試験として実験とペーパーテストがあります。
実験は,各学校で自分で実験をし,レポートを作成して提出するというもの。
私のときは,水溶液の濃度と屈折率の関係を調べよというテーマでした。
ショ糖か何かを水に溶かして,円形の水槽を使って屈折率を頑張って測定した記憶があります(笑)
ペーパーテストは,どこかの高校で受験しました。
一次試験は難なく突破。ペーパーの成績は全国トップかその付近だったと思います。
二次試験の勉強開始。
理論試験と実験試験があるのですが,実験試験はなかなか対策が難しいので,主に理論試験の対策をしていました。
JPhO の HP に,過去問が掲載されていたのでそれを解くだけです。
大学の物理を高校生にもわかる形式で出題するものがほとんどで,特殊相対論や微分方程式が花形でしたね。
二次試験は,8月に3泊4日の日程の中で行われます。
2日目と3日目で,それぞれ理論試験(5時間)と実験試験(5時間)を行い,それの合計得点を競う形式です。
試験の時間以外は実験施設の見学などがあり,正直とても楽しかったです。
努力の甲斐あり,結果は金賞。
まさか日本物理オリンピックで金賞を取れるとは思っていなかったので,自分でもびっくりしました。
(この辺りの詳細は別記事で触れたいと思います!)
その夏の東大実戦でも物理で全国一位を獲得するなど,物理では色々頑張った高校生活でした。(秋の東大実戦では,惜しくも全国二位…)
勉強以外は,将棋ばかり。
勉強をしているとき以外は,将棋のことを考えている時間が長かったです。
将棋部に入っていたこともあり,プロの中継を見たり「将棋世界」(=将棋の雑誌)を読んだり,自分で研究したり。
時折大会があったので,それにも参加していました。
正直私は部活では弱い方だったので,同期や先輩の足を引っ張ってしまうことが多く,それが申し訳なかったです。
でも,部活のメンバーはそのことを一切口にせず,大会で負けるたびにアドバイスをくれたので,本当に感謝しています。
学年が上がるにつれ大会での成績もよくなり,ようやく同期の実力に近くことができました。
細かい定跡を除き,手筋やセオリーというのはなかなか忘れないもので,今でも時折知り合いなどと将棋を指します。
何かに打ち込むというのは,一生ずっと価値をもたらすものですね。
高校時代のまとめ
筑駒に入学し,良い学校であることを実感しました。
自分の得意なこと・やりたいことに打ち込むことができ,物理オリンピックなどで良い結果を出すことができました。
優秀な人に囲まれて,自身も刺激を受けつつ好きなことに打ち込める。
進学校に行くメリットは,ここにあるのかもしれません。
東大を目指す
大学受験では東大を目指すことにしました。
ここではそのワケについて述べます。
そもそも,筑駒は東大志望が多い
筑駒の名前を知っている人は多いと思います。
開成や灘ほどの知名度はないでしょうが(これらの学校は,高校生クイズなどでもメディア露出が多いですからね),筑駒も大学受験でそれなりの実績を残しています。
1学年の人数は160人なのですが,毎年現役・浪人合わせて100人程度が東大に合格しているのです。
やはり,中学受験のレベルが高いのが最たる要因でしょう。
学年の半分が東大に現役で合格する計算です。
大半の生徒が鉄緑会に通っていることも,「東大志望で当然」というムードを加速させます。
※鉄緑会は,関東・関西の有名進学校の生徒を囲っている,東大専門の塾です。
したがって,筑駒生は必然的に東大志望者が多くなります。
私も例に違わず,自然に東大志望になりました。
近所であった
そもそも,東大がそこまで(距離的に)遠くなかったというのも一因でしょう。
東大までは,駒場・本郷ともに1時間以内で通える距離にありました。
近所にあれば,大学入学時にわざわざ引越しをする必要などもありません。
東大の1・2年生は駒場キャンパス(京王井の頭線 駒場東大前駅)を使用するのですが,筑駒の最寄駅も同じなので,近いどころかほとんど通学経路も一緒でした。
近くにあるというのは,ネタではなく真面目に重要な要素です。
時折,毎日長時間(例えば2時間以上)かけて大学に通っている学生がいますが,それは時間的にも身体的にも大変大きな負担となります。
大学に授業等で登校する日は,年間160日程度。
サークルや部活に所属していればもっと増えることでしょう。
毎日登下校だけで3時間とか4時間使ってしまうと考えると,いかにもったいないかわかります。
学校や職場が自宅に近いというのは,QOL的に非常に重要です。
高校一年生のときに,東大の先生の講演に行った
高校一年生のときに,東大の Kavli IPMU 機構長(当時)の村山斉さん先生の講演会に行きました。
村山先生の他にも2人の講演者がいました。場所は有楽町マリオン。今でもよく覚えています。
細かい内容は忘れてしまいましたが,宇宙の始まりについてだった気がします。
素粒子とか宇宙周りの研究をしている人なら一度は見たことがあるであろう,インフレーションとか宇宙の晴れ上がりとかが一枚にまとまっている画像を初めて見たのもこの講演会でした。
その講演会は,非常に魅力的なものでした。
内容自体が面白かっただけでなく,村山先生のトークも軽快で,一瞬たりとも退屈しなかったことを覚えています。
東大には,こういう面白い先生がいるのか!
そんな鮮烈な印象を抱きました。
物理とか物理学科に興味を抱いたのも,これがきっかけなのでしょう。
優秀な仲間に囲まれたかった
筑駒にきてよかったと思った最大の理由は,優秀な仲間に囲まれて大きく成長できたことにあります。
中学生時代以上に勉強ができるようになり,物理がとびきりできるようになったのは,筑駒にいたからに他なりません。
東大を志望した理由の一つは,それと同じです。
特に大学以降での学びは,中高の勉強と異なり,一人でやり続けることができません。
内容が高度になるだけでなく,そもそも複数人でないとできないことがあります。
大規模な実験なんかはその代表例です。(そういえば,CMSあたりの論文で,著者が数千人のやつがありましたね…笑)
したがって,いくら自律の心がある人であっても,大学では限界があります。
優秀な仲間に囲まれることが,大きな成長・良質なアウトプットの要件なのです。
そのためには,東大が日本国内では最善の選択肢です。
※日本にこだわる意味はないのですが,当時の僕は海外の大学に行く勇気がありませんでした。
進路で妥協すると,一生後悔すると思った
もう一つの理由は,後悔したくなかったから。
だいたい自分は勉強くらいしか突出しているものがないので,勉強で良い結果を残すくらいしかやることがありませんでしたね。
もし東大に行かなかったら,「なんであの時妥協したんだろう…」と後悔し続けたことでしょう。
出身大学は,自分の経歴としてずっと残るものです。
しかも,そのときの自分の努力で簡単に変えられるものです。
であれば,努力しない理由はありませんね。
まとめ
東大を目指した理由について,いくつか述べてみました:
そもそも,筑駒は東大志望が多い
近所であった
高校一年生のときに,東大の先生の講演に行った
優秀な仲間に囲まれたかった
進路で妥協すると,一生後悔すると思った
色々挙げてみましたが,当時高校生であった私は,そこまで真剣に志望大学を議論してた訳ではありません。
上記のような理由で自然と東大志望になっていきました。
こうして,自然と高い視座になるというのも,筑駒のような進学校に在籍する意味なのでしょう。
東大日記(教養学部前期課程)
そもそも東大は定員が大きいこともあり,また私自身の中学校以来の変化もあり,大学入試は随分余裕があったのでした。
出願も東大前期だけ。先生が調査書(高校の成績などを記載した書類)を作るのも大変だと思いますので,その手間を省くためにも。
で,問題なく合格でした。
ここでは,合格発表〜学部 2 年生あたりまでのことを述べます。
掲示板ではなく,ネットで合格発表
東大の合格発表というと,掲示板の前で(合格者とおぼしき人が)胴上げされるシーンを思い浮かべるのではないでしょうか?
東大ということもあり,結構有名なシーンだと思います。
しかし,私たち(2015年入学)の代の合格発表でその掲示板は使用されませんでした。
掲示板付近で工事があったため,と記憶しています。(ちょっと曖昧です。)
結局,一部の私立中高の合格発表でよくあるようなオンラインでの合格発表でした。
でも,自分の受験番号を入力して「合格」「不合格」が表示される形式ではなく,合格者の受験番号が全て掲載されているPDFを閲覧するタイプでしたので,「自分の番号あるかな…」とハラハラする楽しみはあります笑
合格発表のときは,さすがに少し緊張しました。
でも,問題なく合格。
家族にも口頭・電話・メールなど色々して報告。
絶対に合格するとは伝えていたものの,みな喜んでくれました。
合格証書は郵送。質素な紙ペラ一枚でした。
日本郵便の,データを送ったらプリントして郵送してくれるサービスを利用しているようです。
人生でもっともしょぼい合格証書でした笑
入学関連の手続き
大学に入学するときには,結構色々な手続きがあります。
生協の加入なども合間って,本当に面倒でした。
入学に関わるこれらの手続きは「諸手続き」と呼ばれ,東大駒場キャンパスの一号館の各部屋を巡る形式で,各種手続きを行っていきます。
本当にこれ必要なのか?と疑問に思うコーナーもありましたが …(東大合格者なら,いくつか心当たりがあると思います。)
第二外国語も入学前に決める必要があります。
確か,二次試験の受験票に第二外国語の記入欄があり,好きな言語を記入し,その受験票を入学手続き時に提出するという感じでした。
私はドイツ語を選択しました。
大学での第二外国語選択は,慎重に行う必要があります。
こと東大では,第二外国語に応じてクラス分けがなされるので,注意しましょう。
これは,東大を目指す受験生諸君にあらかじめ知っておいてほしいことです。
言語によっては,私みたいにとんでもないクラスにあたってしまう可能性があるので…
というわけで,以下入学してからのお話。
「理一ドイツ語」
私は理科一類32組になりました。
ドイツ語クラスの中では結構後ろの方です。(確か33組までドイツ語)
初めてクラスのみんなと顔を合わせたのは,サークルオリ&写真撮影の日だったかな。
高校同期が2人おり,他にも知っている人がちょっとだけいました。
筑駒出身ということもあり,他高校出身の人と比べると知り合いは多かったです。
クラスのメンバーは,大変面白い構成でした。
クラスが30人ちょいいたのですが,女子は2人。
理系とはいえ,驚異的な数字です。(普通にかわいそうでした。)
雰囲気について。
会ってすぐの頃は「わりと落ち着いたメンバーだな」という程度の印象でした。
しかし後述するように,実際は想像をはるかに超えて陰キャの集まりだったのです…
まあともかく,そんなメンバーでオリ合宿へ。
※オリ合宿:一学年上のクラスに引率されて行く,親睦旅行のようなもの。入学生のほとんどが参加し,そこで仲良くなることが期待される。
オリ合宿,どこへ行ったのか正直忘れてしまったのですが,確か箱根だった気が。
イチゴ狩りとか陶器作りとかした記憶があります。
すみません,二年生のときに引率もしたので,記憶が混在していて…
正直,中高生の修学旅行のような感じで,完全にハッチャケているわけじゃないけどそこそこ楽しかった記憶があります。
オリ合宿の夜第一部は,役職決め。
東大のクラスには役職というものがあります。
中高でいう「係」「委員」に相当します。
有名な役職は「五月祭委員」(目前に迫る五月祭の準備を進める人),「シケ対」(試験対策のプリントなどを作成する人)などです。
私は,(詳しい名前は忘れましたが)「自治委員」的なやつになりました。
クラスを代表して,自治会の投票などを行う係です。
自治会に参加するとお弁当を無償で支給してくれるので,それが魅力的で笑
オリ合宿の夜第二部は,時間割決め。
いつになっても,時間割決めは楽しいもの。
学力があり勉強が(他者より)好きな東大生ならなおさらです。
役職決めが終わった後は,引率の先輩に色々相談しつつ,時間割を決めます。
とはいえ,当時の東大新入生は
必修科目が多すぎる
キャップ制(履修登録できる単位数に上限がある)
などの影響で,自由度はそこまで高くありませんでした。
自分の好きなものを履修できるのはせいぜい2,3コマだったように思います。
まあでも,どの科目がいいとかどれはヤバイとか,そんな話を楽しみました。
二日目も何箇所か観光にいき,東京へ。オリ合宿終了です。
授業の様子
いよいよ授業開始。
入学式は毎年4月12日で,入学式よりも前に授業が1週間ほどあります。
最初の授業はドイツ語でした。
東大の授業はどんなものなのか,当時は期待に胸を膨らませていたものです。
しかし,その期待はクラスの仲間によって裏切られることになります。
クラスに悪い人は一切いないのですが,とにかくみんな静か。
マジで喋りません。
私も物静かな方ではあるのですが,それでも私が一番よく喋るレベルです。
先生がクラスに発言を求めても,シーンとしています。
最初のドイツ語の授業で,「あ,やばいクラスに入っちゃったな」と悟りました。
仲良くなりきれていないから静かだったのではありません。
端的に言って,みなコミュニケーションが苦手だったのです。
その証拠として,このクラスが騒がしくなることは永遠にありませんでした。
バカみたいに騒がしいヤツがいないのは助かるのですが,ここまで静かだと楽しい授業になりません。
というわけで,私が思っていた東大の授業とは全く異なるものが展開されていきます。
でもやっぱり,授業自体は面白い
ただ,授業の内容そのものは面白いものが多かったです。
東大にはキャップ制という,履修できる授業の数が制限されるというルールがあったのですが,いろいろな勉強をしたかったのでその制限ギリギリまで授業を履修しました。
物理学科に進学したいという気持ち自体はブレませんでしたが,せっかくいろいろな面白い授業があるのだからとりあえず学んでみようという感じですね。
必修科目以外で実際に僕が受講した授業をいくつか挙げておきます:
- 振動・波動
- 量子論
- 統計物理学
- 微分方程式
- 環境物質科学
- 認知脳科学
- 教育臨床心理学
- 社会生態学
- 中国語初級
- ラテン語初級
- …
これはほんの一部で,実際にはもっとたくさんの授業を受講していました。
大学の(特に教養課程の)授業は無駄だ,と思う人もいるかもしれませんが,少なくとも僕は,この教養過程で勉強した内容のおかげで人生が豊かになっていると思っています。
物理系の科目は物理学科でストレートに役立ちましたし,中国語が読めると時折目にする中国語の意味がわかって楽しいです。
目一杯授業を履修した分,楽しい時間を過ごせました。
定期試験シーズンは大変でしたけどね笑
物理学科(学部 3 年生〜 4 年生)
教養学部が終わったのち,僕は物理学科に進学しました。
その経緯や物理学科の様子について述べます。
物理学科を目指したきっかけ
すでに書きましたが,東大の物理学科を目指したきっかけは,高校生の頃に出席した講演会の影響でした。
2012年の夏でしたが,Kavli IPMU の村山斉機構長(当時,現在は大栗さん)が登壇されて,宇宙の始まりなどのよくあるトピックについてお話ししてくださいました。
村山さんは喋りが非常に上手な人で,発表の内容やスライドもユーモアにあふれていました。
当時は単に物理に興味があったから講演会に参加したのですが,その講演をきっかけに東大の物理学科に興味を持つようになりました。
当然,普段の研究というのはもっと地味で大変なのでしょうが,高校一年生の私にとっては物理学者という仕事が大変魅力的に思えたのです。
なんとなく大学では物理をやりたいという思いはあったのですが,その日をきっかけに東大の物理学科を真剣に目指すようになりました。
物理学科へ進学
ご存知の方も多いでしょうが,東大には「進学選択」(進学振り分け)という制度があります。
入学の時点では
- 文科一類:法(←主たる進学先)
- 文科二類:経
- 文科三類:文
- 理科一類:理・工
- 理科二類:農・薬
- 理科三類:医
という「科類」に別れており,大学二年の途中に学部・学科への振り分けがなされます。
進学選択の際,各学部は科類ごとに枠を設けています。
上に記したような学部であれば進学しやすいです。
例えば医学部医学科は,ほとんどを理科三類からとります。
理学部物理学科であれば,理科一類がメインです。
枠を超える出願があった場合は,それまでの成績順に合格となります。
私の代では,大学二年の夏学期前半までの成績が判断材料となりました。
私は理科一類で出願し,入試を受けました。
すでに物理学科に進む意志は固かったためです。
幸い成績は良い方だったので,無事に合格できました。
※実は,私の代の物理学科は珍しく定員割れしていました…
同期の印象
大学二年の秋学期から,学部・学科別の授業は始まります。
9月の末に,学科のオリエンテーションがありました。
顔合わせや,学科での履修科目,それに先生方の紹介などが行われていました。
学科には高校同期が複数名いたので,他の人よりは友達を作りやすい状態にあったといえるでしょう。
でも,実際に仲の良い友達がたくさんできるまでは時間がかかりました。
物理学科は理科一類の学生が中心となって進学しているということもあり,全体的に物静かな人が多かったです。
コミュニケーションが苦手という訳ではないのですが,そもそも日常的にそんなに喋らない人ばかり,というのが正しい理解でしょう。
積極的に喋りたいと思わない人が多いと,自然と教室は静かになります。
2A(2 年の秋学期のこと)の授業は,駒場にある非常に大きな教室で行われました。
200 人はゆうに入るレベルのデカい教室です。
学科同期でたくさんのコミュニケーションが発生しなかった原因はそこにもあるのでしょう。
2A でも唯一,演習だけは小さな教室で行われました。
演習というのは,現在進行形の授業に対応した内容の問題を解くというものです。
当時は電磁気学や解析力学,量子力学の演習をしていましたね。
問題ごとに学生が割り振られ,その学生がみんなの前で発表をします。
また,学期末には期末試験もあります。
演習では,学期中に一度はみんなの前で発表しなければいけません。
もともと私はやりたがりな性格だったこともあり,積極的に発表をしていました。
いつも完璧ということはなく普通に誤りもあったのですが,発表をたくさんしたのが,友達作りに大きく貢献したように思います。
発表をたくさんすると,
同期からその場で質問やコメントをされる
発表後に,同期と議論をすることがある
などの影響で,コミュニケーションの機会が圧倒的に増えます。
結果として,仲の良い友達が結構たくさんできました。
逆に,自ら周囲にアウトプットをあまりしない人は友達作りに苦労するかもしれません。
そもそも学科で友達を作る必要があるとも限らないので,本人の考え次第です。
物理学科に入ってよかったこと
物理学科に入ってよかったことはいくつかあります。
学生の学力レベルが高い
例年そうですが,物理学科の学生は全体的に学力レベルが高いです。
ペーパーテスト的にもそうですが,頭の回転が早いですね。
建設的な話をスピーディにできるので,コミュニケーションの際にもどかしく思う必要がありません。
全体的な学力レベルが高いので,授業のレベルも当然高くなります。
難しくてスピーディな授業が増えるので,内容に追いつくのが大変です。
物理学科に入りたての頃の量子力学の授業はきつかったですね…
有名な先生がたくさんいる
東大の物理学科には,著名な先生がたくさんいらっしゃいます。
各分野の第一人者たる先生がいるというのが,東大物理学科の優れた点です。
自ら望めばそこで研究をできるわけですから,こんなに嬉しいことはありませんね!
(私は大学院に進学しなかったので,本当の喜びというのは同期たちが今後知ることになるのでしょう。)
私が高校三年生で日本物理オリンピックに出場したとき,色々な大学から引率の先生がいらっしゃいました。
その中に東大の先生が何名かいらっしゃったのですが,私が当時読んでいた本の著者さんがいてびっくりしたのを覚えています。
研究環境が充実している
予算面でも,仲間の面でも,東大は日本でもっとも充実した教育環境の一つでしょう。
海外研究者との交流も非常に盛んですし,実験系であれば優れた施設が多数あります。
やりたい研究のほとんどは東大でできます。
東大というと,赤門がある本郷キャンパスを想像する人がほとんどでしょう。
でも,他にも柏キャンパスやその他様々な研究施設があります。
物理学科のまとめ
知的にタフな人が多い,というのが物理学科の印象です。
勉強をするのが好きな人,物理が好きな人にとっては,東大の物理学科での生活は非常に楽しいものになるでしょう。
数学や物理が好きな大学受験生は,ぜひ東大の物理学科を進学先の候補に入れてください。
(受験をするときは,理科一類を目指すことになります。)
以下執筆中